このブログを検索

2/27/2014

研究命題:「イノベーションを促す仕組みのデザインと運用」(2-2)

「クリエイティブ」とか「イノベーティブ」とかいわれるような人達にはものすごいあこがれを覚えます。

他の人には思いつかないもの、できないものを形にして、しかもそれが社会に受け入れられるなんて、めっちゃ羨ましい。かっこいい。自分もそういうことやりたい。

でも、残念ながら自分にはそこまでの能力はないのです。
そこそこ自信のある分野はあるけれど、面白いアイディアを出せといわれても、パッと思い浮かばないし(そもそも面白いこと言うのすごい苦手だし)、大した根拠がなくても自分のやることに自信と情熱をもって突っ走れたり、人の中に入って自然といい感じに巻き込み合ってる輪を作ったり、思いついたものをサラリと形にすることができるような、プログラミングとかエンジニアリングのスキルを持ってるわけでもないのです。ただの事務屋でこれまでやってきましたので。

しかし。
既にクリエイターなどとして活躍されている方々のようにブッ飛んだことはできなくても、いろんな人が集まると何か面白いものが生まれて、できちゃいそうな雰囲気が生まれたり、実際できちゃったりすることがある、ということも知っています。組織を作るって元々そういうことだったんじゃないかと思います。狩猟生活って「チームワークそのもの」みたいなイメージが!(正確にどうなのかは知りませんが)。

なので、私のようなぼんくらでも、いろんな人と補い合いながらだったら、面白いことができるんじゃないかな、と、思うのです。そして、それがもっと簡単に、たくさんできるようになると、よりたくさんの人が面白いものを作ることに携われるし、世の中に面白いものが増えるし、今よりハッピーな世の中になるんじゃないかなー、と。

今、硬直しちゃって中々変化したり新しいものを生み出したりしづらいような集団でも、個々の力の結合方法を変えるだけで、新しい価値を実現するようなアウトプットを今よりも確度高く、多く、質高く、生み出すシステムに変えることも、できるのではないかと思っています。多様で優秀な人達がいるのですから。

私も含めた、世の中の大多数を占める「普通」な人達というのは、自分にはクリエイティブなことはできないと考える傾向が強いように思うのですが、そう思いこまされているだけ、という部分もあるのではないかなーと思うのですよね。だって、子供のころ、誰だってそれなりに自分で新しいことに触れて目を輝かせたり、自分で学んだり、考えたり、作ったりしてたはずなのです。

そして今だって、見方や考え方、見るもの触れるもの、ちょっとした習慣を変えること、そして、個々の人の間に発生する流れと変化がもっとスムーズになる環境を作ってあげることで、そういう感覚って取り戻すことができるんじゃないかと。周囲の環境を整えて、ちょっとした行動を誘導することで、それは実現できる気がするのです。それって、色々なものが構成要素として絡み合ってくるような、仕組みのデザインなんですよね。

それが、「仕組み=システム」について考えたい理由です。