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8/08/2014

「わからん」ことに対する耐性


ちょっとアイディアをしゃべってみて、すぐに「それいいよね」と言ってもらえたり、ちょっと考えてみてすぐに「面白い」と思えたりするということは、そのアイディアはいま我々が生きている世界の枠内に収まっているということ。

「意味わからん」「それ無理でしょ」と言われるものの中にこそ、「世界が変わる」に繋がるタネがある。
誰も考えたことがないような問題を、すっきり解決することができれば、「世界が変わる」に繋がりやすい。

そんな問題簡単に思いつかないし、変化に繋がらない事がほとんどで、諦めがちだけど。

8/05/2014

自分で納得して生きる

"You are master of your own fate. Act like it."
と言っても、響く人はほんのちょっとだけしかいないらしい。
そらそうかなー、という気もします。

でも後悔したり他責したりするばかりで、自分の人生を自分で納得するようにいかないと勿体ない
自分の在り方が変われば、世界が近寄ってきてくれることがあります。

コントロールできること、できないこと、大体半々なんじゃないでしょうか。
コントロールできる部分でベストを尽くす。ベストを尽くせる部分って意外と大きいと思います。

日本の製造業は「つくり」には強いが「もの」に弱い

示唆に富みます。


日本は「つくり」に強いが「もの」に弱い、というのは僕も前職の時に感じていたことです。余り大きい声では言えないのですが、開発の人は自分たちの技術に結構プライド持ってる割に実はたいしたものが作れていなくて(客先の御用聞きが基本なので)、お客さんの方が技術をよく知っているということもザラでした。一方で、安定した品質だし多少のトラブルがあっても何とかしてリカバリーしてくれる、という製造の部分に対するお客さんの期待というのはとても高かったです。

(もちろん、一部の企業では、新しい技術や製品を作ることのできる力が半端ないということも認識していますが)

なので、ファーストベンダーにはなれなくても、ファーストベンダーの中台韓メーカーがこけた時の保険として、セカンドベンダーになることがあったりして。セカンドベンダーに甘んじることは絶対ダメですが、そういう部分もあるということは、売る時の武器としてメーカーの営業なり開発なりは認識した方がいいと思います。

もちろん、「もの」の力も付ける必要があるのは当然なのですが。

7/28/2014

<気になるワード(2)>「渦」

今回の話は、生物学者の福岡伸一教授の本に示唆を得ています。




前回のポストで「流れ」を捉えることが大事なんではないかと思っている、ということを書きました。世界は流れゆくものです。どんなものも何かしらの流れのさなかにあり、抵抗の少ない状態に変化していく性質を持っています。というようなことです。

では、その流れゆく世界の中で、安定した形、一定の秩序をもった状態をとっている(ように見える)我々の自身や机、建物、車、山などはどう説明すればよいのでしょうか?

これは、僕の勝手な捉え方の中では、「渦」に近いものなのではないかなと思っています。

どういうことかと申しますと。。。

まず、渦というのは、流体の中で性質の異なるものが接触する時にできるものだそうです。性質とは、温度とか密度とか、速度とか濃度とか重さとか、そういったものです。鳴門海峡などで見られる渦巻きは、海峡を通じて流れ込む/流れ出る水の速度の速いところと遅いところの境目で見られる現象です。

渦は、そういった性質の差によって発生するエネルギーと周囲の環境とのバランスが続く限り存在し、流入するエネルギーがなくなるなどしてそのバランスが崩れると消滅します。世の中に存在する「かたち」あるものが「渦」に似ているのではないか、というフィーリングは、双方が似たような原理で生じているのではないかな、という捉え方をしているということです。

例えば、人間の身体は、それ自体確かな存在でとても安定したもののように我々は思います。しかし、我々の身体を構成する細胞は常に破壊と生成が繰り返されている為、例えば皮膚を構成する細胞は、年齢にもよりますが、約1か月ですべて入れ替わると言われています。古くなって壊れた「自分」は体外に排出されていき、その代わりとなる新しい「自分」を作る材料を得る為に、我々は日々ご飯を食べるわけです。

つまり、我々は日々「自分」の中に様々なエネルギーを取り込み、古くなったものは排出するという流れを作ることで、「自分」という秩序を保っている。この点で、渦に似ていると言えるのではないか、と思うのです。

世の中の大抵のものは、複数の構成要素が組み合わさることで一つの系(システム)を成しています。しかも、それらの系は独立して存在するわけではなく、常に周囲の環境と何らかの形で干渉し合い、何かしらのやりとりを行っています。岩や山もそうですし、木もそうです。人間の織りなす組織も、国も、それらの一つということができます。

岩などは、どこまでが系で何が流れているのか、を明確に言い表すのは非常に難しいです。一定の種類の分子がカタチを成してやがて崩れていく、というそのプロセスが、人間とは比べ物にならないくらい長いタイムスパンで起きているのだろうと考えています。地球自体も、宇宙の中で様々な物質が渦によって集まって形成した秩序で、やがて流れが止まって消滅していくのだろうと思われます。

上記のように、それぞれに系の大きさや時間軸、バウンダリー、インプット/アウトプットでやりとりされるものは異なります。しかし、一定の秩序を成し、外部環境との相互干渉のバランスの下でそれが成り立っているという点で共通していると考えられます。そして、その特徴は渦と似ているように思うのです。

そういう意味では、銀がが渦巻き型をしている、というのは非常に示唆的です。複雑系化学の中に「フラクタル」という考え方がありますが、世界はどこまで広げて、或は狭めてみても、結局本質的にはそこに流れと渦があるのではないか、という気がしています。

僕のメインの関心事は、組織やコミュニティの中における創造的な活動を促進する仕掛けです。この捉え方の中では、系の中で流れ、渦巻いているのは情報や知識であり、それらが系の中で別の小さな渦を起こして消えていく、というのが創造的な活動なのではないか、という直感を持っています。

そういう捉え方をするうえで、流体力学の中ではどのような方法で渦の状況を捉え、分析して、制御しようとしているのか、ということには非常に関心があります。その考え方が、情報や知識の流れや渦としての組織が、どれだけ活発に創造的な活動を生み出しているか、を分析する為のフレームワークとして、援用できるのではないかという気がしています。



7/01/2014

<気になるワード(1)> 「流れ」

<気になるワード>シリーズを気まぐれに始めてみます。

これは気になることについて、独り言的につらつら述べるものであり、記述の中には誤解なども多々ありうることを始めにお断りしておきます。

さて。
もし「自分的よく使うワードランキング」なるものがあるとすると、ここ1,2年で急上昇して上位に張り付いているだろうなー、と思うワードがありまして、それが「流れ」です。

して、そのココロは?

私は、世の中の物事ってやっぱり何かしら共通の法則に基づいて動いているんだろうなという、ある種の信念のようなものを持っています。信念というのもなんだか堅苦しいのですが、他によい言葉が見当たりません。
(これは完全なる主観なので、「それは間違っている!」という方も当然いるとは思うのですが、完全なる主観でそう信じてしまったので、とりあえずは「そうかもしれない」とさせて下さい。)

昔々のギリシャの哲学者ヘラクレイトスは、様々な自然現象の観察の結果、「万物は流転する」と喝破して万物の根源を「変化と闘争」としました。そして、変化と保存が同時進行するものの象徴として「火」を挙げ、物質はすべて火から生ずる、と言ったといいます。

万物が火から生じるというのは正直なところよく分からないのですが、少なくとも言葉だけを見ると「流転」のところは多いに賛同したいと思う訳です。どこからも確認をとっていませんが、仏教の基本的なコンセプトの一つもそういうことなのではないかなと思っています。

つまり、変化こそが世の真理であり、具体的な形を持って安定しているように見える、たとえば岩のようなものですら、実態は絶えず変化の只中にあってやがては形を変えていく、という風に見るということです。我々の存在も同様。街を走っている車も、目の前のテーブルも、山も、地球も、全部です。そして、「何かしら共通の法則」に基づいたあり様を端的に指す言葉の一つが「流れ」なのではないかな、と感じている訳です。

どんなものも流れゆくということが世の常ならば、その流れに逆らうことや、流れゆくものを囲い込んで自分の懐にしまいこむことは、不自然なことです。そういった不自然なことをしようとすると、無理な負担が掛かったり、淀みが生じて具合が悪くなったり、色々な不都合が生じます。人とのつながり、情報、お金、栄養、資源、運、仕事、などなど。

よって、執着を捨てて流れに乗るように心がけると、意外といろんなものがもっとうまくいきやすくなるんじゃないかと思っています。

私が現在関心を持っているのは、人の集合の中で、新しい知識を生み出す為の「協創(Collaboration)」の創発を促進するシステム作りなのですが、これに対しても同じ考え方を適用できると考えています。つまり、システムの構成要素間、或はシステムの内外の情報や知識の流通と処理において、流れを阻害する要因を取り除き、自然な流れを発生させる仕掛けができているかどうかに着目することで、分析や評価に使うことができる共通のモデルを作ることができるのではないか、という漠とした仮説があります。

そうした前提のもとで研究を進めようとする時に、「流れ」に関する研究で先を行っている分野から示唆を得たいなーということで、流体力学がキーになるのではないかと、とても気になっているところです。

しかし。。。問題は、この流体力学、高校で物理やら化学やらから逃げ出してしまった人間にとっては、とっても厄介な分野な気がします。どなたかお詳しい方に、最もコアな部分の理解をお助けいただきたい!

ということで、今回はこの辺で。

次回は「渦」について書きます。
「流れ」の中にある世界において、流れつつも一定の秩序を形成しているものとして端的な例が、「渦」だと思うからです。


6/02/2014

Manifestoにかえて。

30年生きてきて、初めて恩師と呼べる先生に出会えた気がしています。
1年前とは全然違うところに今はいて、それは自分が在るべきであったと思える場所です。
(ただ、もっと遠くまでいかなければ。。。まだまだ、怖れて先に進む足がひるむことが多いです。)

ここまで来たのは、今いる大学院(慶應SDM) に入って、前野隆司先生に好きにやらせてもらっているからです。

その前野先生の本、『幸せのメカニズム 実践・幸福学入門』 (講談社現代新書) から。

=============
"Permission"
It's OK to try something you don't know.
It's OK to make a mistake.
It's OK to take your time.
It's OK to find your own place.
It's OK to do it in your way.
It's OK to bungle so next time you are free of fear of failure enough to succeed.
It's OK to risk looking foolish.
It's OK to be original and different.
It's OK to be wait until you are ready.
It's OK to experiment safely.
It's OK to question the "shoulds".
It is special to be you.
It is sometimes necessary to make a mess as long as you are willing to clean up. The Act of creation is often messy!

(野口桂子『あなたの子どもを救えますか』より)
=============

いま、そんな場所を作ろうとしてます。

自分でやってみる。失敗も楽しみながら。
そういう場所が、少なすぎるんじゃないかなと思うのです。
仲間と、学びながら。だったら、やりやすいんじゃないかなーと思い。

もうすぐ会社ができます。

5/08/2014

健全なエコシステムには競争があるはず。

競争です。協創ではありません。

昨日、知り合いからこの記事をシェアされました。(朝日新聞デジタル:ザ・テクノロジー:1『ロボットバブルとグーグル』)

Googleが東大発のロボットベンチャーSchaftを買収したというニュースはもう色々なところで触れられていて、「なんで日本の企業ではなくて、いつもGoogleとかAppleとかAmazonばっかりなんだ?!」とか、「なんでロボット技術の研究は日本もヒケをとらないのに、事業化して儲けるのはアメリカなんだ?!」とかいう議論があったりしますね。


まぁそれはそれで面白いんですが、引用した記事でもう一つ気になるのは、DARPA(Defense Advanced Research Projects Agency)が主催したというコンテストです。日本にはこういうのないの??と。

DARPAというのは、先端科学技術を軍事技術に転用する為の研究をする機関で、インターネットやGPS の原型を開発したそうです。研究機関として存在はしますが、研究施設はなく、プロジェクトマネジャーとなる研究者が自らの企業や研究室で研究をしている、というのも興味深い特徴です。

今回Googleに買収された企業は、このDARPAが主催した "DARPA Robotics Challenge(DRC)" というコンテストです。元々福島第一原発の事故をきっかけに、災害時に人間が入れないような場所でタスクがこなせるロボットを、ということで立ち上げられたコンテストだそうです。

このDRCに限らず、欧米では技術を競い合うようなコンテストが結構沢山あったりします。魅力的なベネフィットを提供した上で技術やアイディアを披露し合って、切磋琢磨するような仕掛けを設けることで、技術者は自らをアピールする機会になるし(お金ももらえるかも)、技術や事業がほしいところはそれを担える人を発掘する機会になっていて、関係者を巻き込む為のコミュニケーションデザインがうまいんだろうなと思います。

さて、日本にはそういう機会はあるのでしょうか。。。?
そのあたりの先端にいそうな産総研とか理研のイベント情報を見てみると。。。

ありませんね。
どうしたことでしょう。

Googleで「ロボット 技術 コンテスト」で検索しました。
トップに出てきたのは「創造アイディアロボットコンテスト全国中学生大会」。

ふむ。もっとレベルの高そうなものは?
コンテストではなくて、大会のほうがいいのでしょうか。

ありました。「かわさきロボット競技大会」。優勝賞金100万円。
なんか協賛企業のリストがあんまりときめかなさそうですが。

うーん。

なんか課題の設定もスゴイ感が伝わってこないというか。DRCと比べると大きく見劣り。。。半ば「マニアの集まり」というか「趣味の延長」みたいな、「一部のもの好きな人達の集まり」的な空気感があるような。課題の設定がヘタクソなんですかね。何とかできないものでしょうか。

DRCでは4億円の開発費用が出るということですが、そこまででなくても、ちゃんと技術を持っている人達が必要とするものをあげなくては。。。加えて、資金も必要なんですが、単にギークでオタクな人達みたいな見方ではなくて、道を究めて世の中にこんな価値を届けられる匠なんです、みたいな日本人好きする見せ方をすると、いろんな関心を呼びやすいのでは?

集団の力を利用して新しい価値を作っていく為の生態系には、競争は不可欠だと思います。実際の生態系に競争と淘汰があるように。そして、勝ち抜いた者にはちゃんと勝ち抜いただけのベネフィットが必要です。それも実際の生態系と同じです。

もっとうまくやって、いろんな分野でコンテスト開催すると、日本にいろんな国の知が集まる、みたいな感じにできそうな気がする。それはロボットとかみたいな、エンジニアリングの分野に限らず、です。

コンテストの情報サイト「登竜門」を見つけました。
クリエイティブ系が多いのかな。少し見てみよう。

4/03/2014

Tokyo Hackerspaceを見学。

新しいものを創っていくうえで、自分で手を動かして、実際に手に取ってみたり、使ってみたりできるものをとりあえず作ってみることができる、というのはすごく大事なことだと思い始めています。デザイン思考でも、創られたアイディアとコンセプトを、プロトタイピングを経てテストすることの重要性は触れられていますし、リーンスタートアップとかスタートスモールとかいう概念も、言いたいことは本質的に同じで、そういうことなんじゃないかと。

実際目に見える形になるからこそ、使ってもらってフィードバックを得たり、作っていくうえで気を付けなければならないことに気付いたりすることができます。チームで議論する時も、より具体的にイメージしやすいものになる効果がありそうですし、作ってみてちょっとイメージが違うと、すぐにそれを修正してみたくなっちゃう、みたいな、モチベーション的なところにも影響しそう。ソフトウェアにせよハードウェア(機械でなくても、家具とか衣服とか道具とか)にせよ、或は目に見えないサービスにせよ、それは同じであるような気がします。

エンジニアリングとかデザインのバックグラウンドがない人の大半は、モノを作って試してみる機会って人生の中ではそうそうありません。ハンダが何かすらわからない人だって多いのではないでしょうか。私は幸い前職でメーカーにいましたので、辛うじてハンダのことは知っていますが。。。

自分の手と頭を使いながら形にするスキル。それをちょっとでも身につけることができる場、機会というのは、必要なんだろうなーと思っています。

余談ですが、アメリカの人々って結構DIY精神が旺盛で、家の壁を塗ったりとか庭の柵を創ったりとか車のちょっとした修理とか、「文系」な人でもできる人が結構いたりします。また、Home Depot(http://www.homedepot.com/とかLowe’s(http://www.lowes.com/みたいな、DIY用品専門のめっちゃでかいホームセンターがどこの町にもあります。そういう習慣とか環境というのは、新しいものを自分で創る、自分でよりよいものにするのだ、というマインドセットに影響を与えているのかも知れません。

ということで、乃木坂にある、Tokyo Hackerspace(http://www.tokyohackerspace.org/Open Meetingの見学に行ってきました。先週FabCafe(http://tokyo.fabcafe.com/のミートアップで知り合ったEmery Premeaux氏が中心となって運営しているシェアスペースみたいなものです。Emeryは、もともとはアメリカで電気系のエンジニアをしていて、今は日本で英語をプライベートで教えながら、Arduinoの本を書いたりHackerspaceの運営をしたり、自分でモノを設計したり、といったことをしてるそうです。
  
毎週火曜日と水曜日の19:30からOpen Meetingを開いていて、メンバーでない人も見学することができます。火曜は英語、水曜は日本語。しかし昨日は訪問者以外に日本人は1名しかおらず、ミーティングも特にされませんでした。なので、どんなことやってる人がいるのか、とかMaker Campってどんなことするのか、とかを聞いてました。

写真をとってくるのを忘れましたが、ここに写真が

広さとしては10畳ぐらいで、10人ぐらい入るともう満杯って感じです。工具とか部品とかが壁一面に所狭しと並んでいました。いわゆる「アメリカのガレージ」の雰囲気満載のスペースで、実際立上メンバーの家のガレージを借りてるみたいです。月5000円を払うとメンバーになれて、このスペースを24時間365日好きな時に使えるようになります。常駐のメンバーはおらず、火曜水曜にはできる限り集まる、ぐらいの感じです。

それぞれのメンバーは思い思いのプロジェクト(モノの自作とか改良とか)に取り組んでいます。モノづくりのスキルや知識なしに完全なビギナーから始めた人もいますが、ほとんどは元々何か作れるスキルがある人達の様子。ただ、月に1回ぐらいの頻度でオープンなワークショップ(参加費2000円?)が開かれていて、工具の使い方やらArduinoのプログラミングやらを教えるようなこともしてるみたいです。開催の頻度は増やすそうです。

入門者向けのキット(音が出る機械とか光が出る機械とか。1000円~2000円程度)があって、それを買えばLEDとか回路基板をハンダ付けするとかして、簡単なものは作れたりします。周りのメンバーに教わりながら。

何かイノベーティブなものを!みたいなバリバリした感じではなくて、モノをいじりたい人達が、お互いに学び合ったり議論したりしながら自分のやりたい作業をする、サークルみたいな感じなのですが、共創プラットフォームの生態系の中にこういうものを入れてみるのは面白いだろうなー、と思いました。

2/27/2014

研究命題:「イノベーションを促す仕組みのデザインと運用」(2-2)

「クリエイティブ」とか「イノベーティブ」とかいわれるような人達にはものすごいあこがれを覚えます。

他の人には思いつかないもの、できないものを形にして、しかもそれが社会に受け入れられるなんて、めっちゃ羨ましい。かっこいい。自分もそういうことやりたい。

でも、残念ながら自分にはそこまでの能力はないのです。
そこそこ自信のある分野はあるけれど、面白いアイディアを出せといわれても、パッと思い浮かばないし(そもそも面白いこと言うのすごい苦手だし)、大した根拠がなくても自分のやることに自信と情熱をもって突っ走れたり、人の中に入って自然といい感じに巻き込み合ってる輪を作ったり、思いついたものをサラリと形にすることができるような、プログラミングとかエンジニアリングのスキルを持ってるわけでもないのです。ただの事務屋でこれまでやってきましたので。

しかし。
既にクリエイターなどとして活躍されている方々のようにブッ飛んだことはできなくても、いろんな人が集まると何か面白いものが生まれて、できちゃいそうな雰囲気が生まれたり、実際できちゃったりすることがある、ということも知っています。組織を作るって元々そういうことだったんじゃないかと思います。狩猟生活って「チームワークそのもの」みたいなイメージが!(正確にどうなのかは知りませんが)。

なので、私のようなぼんくらでも、いろんな人と補い合いながらだったら、面白いことができるんじゃないかな、と、思うのです。そして、それがもっと簡単に、たくさんできるようになると、よりたくさんの人が面白いものを作ることに携われるし、世の中に面白いものが増えるし、今よりハッピーな世の中になるんじゃないかなー、と。

今、硬直しちゃって中々変化したり新しいものを生み出したりしづらいような集団でも、個々の力の結合方法を変えるだけで、新しい価値を実現するようなアウトプットを今よりも確度高く、多く、質高く、生み出すシステムに変えることも、できるのではないかと思っています。多様で優秀な人達がいるのですから。

私も含めた、世の中の大多数を占める「普通」な人達というのは、自分にはクリエイティブなことはできないと考える傾向が強いように思うのですが、そう思いこまされているだけ、という部分もあるのではないかなーと思うのですよね。だって、子供のころ、誰だってそれなりに自分で新しいことに触れて目を輝かせたり、自分で学んだり、考えたり、作ったりしてたはずなのです。

そして今だって、見方や考え方、見るもの触れるもの、ちょっとした習慣を変えること、そして、個々の人の間に発生する流れと変化がもっとスムーズになる環境を作ってあげることで、そういう感覚って取り戻すことができるんじゃないかと。周囲の環境を整えて、ちょっとした行動を誘導することで、それは実現できる気がするのです。それって、色々なものが構成要素として絡み合ってくるような、仕組みのデザインなんですよね。

それが、「仕組み=システム」について考えたい理由です。