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9/12/2013

研究命題:「イノベーションを促す仕組みのデザインと運用」(2-1.)

研究命題「イノベーションを促す仕組みのデザインと運用」のうち、後者の「仕組み」の部分について、ここに着目する理由を簡単に記述します。今日は、「仕組み」とはどういったものを想定しているか、という部分です。

2. なぜ「仕組み」なのか?

2-1. 「仕組み」の定義
ここで「仕組み」というのは、私が普段口にしている、そしてこれから大学院で学んでいくことになる「システム」と言い換えることができます。


<システムの特徴>

一般的なシステム理論に関する学習が進んでいないので、それに基づいた言及は今後に譲りますが、現時点で研究対象とするシステムの特徴として想定しているものは以下です。

・構成要素が複数存在している
・構成要素間で相互作用している
・構成要素間の相互作用によりそれぞれが変化する(適応する)
・構成要素自体もそれぞれ独自の入出力・適応プロセスを持つシステムである
・各構成要素を通じて外部環境の構成要素とも相互作用する
・各構成要素は外部環境との相互作用にも影響を受けて変化する
・外部環境との相互作用による各構成要素の変化を通じ、システム自体も変化する
・構成要素間及び外部環境との相互作用と適応のプロセスは常に存在する
・一定の臨界点に達すると、システム全体の相、秩序は大きく変わる
 (臨界点に達するまではシステムは一定の相に留まっている(ように見える))
・システムと外部の境界は、観察者による定義で柔軟に措定可能である


<システムの境界について>

最後のポイントだけが他のポイントと比較すると結構異質というか、認識論的な問題になっているのが違和感をもたらす可能性もありますが、これはこれで大事で、もしかすると、システムのデザイン、マネジメントで最も大事な勘所にもなりうるのではないかと思っています。この認識論的な境界をどう設定するか、また境界内外の差異をどのように具体化するか、が、結局そのシステムの性質を決定していくことになると思うからです。

例えば同じ「企業組織」といっても、目的によって考察や実践の対象となる範囲が変わってくることが多く、この部分に自覚的になっていないと議論の前提が崩れてしまう可能性が高いです。システムとして企業組織を考える際、それが特定の部門なのか、チームなのか、会社全体なのか、或はステークホルダーの一部まで含めていくのか、その違いにより、分析や実践の内容が大きく変わってきます。そして、それは予め何らかの方法で、観察者によって外部から定義されなければならないものです。

また、認識論的な定義によるシステムの境界の設定は、何らかの形でシステム内外の構成要素の行動パターンへの影響という形で具体化される必要があると考えています。これは、システムの挙動が各構成要素及び外部環境の要素の相互作用の結果立ち現れるものであると想定している以上、実際に境界が具現化する為にはこれらの構成要素の行動に、差異として現れる必要がある為です。意思決定パターンややりとりされるコミュニケーション・資源の内容や経路等がそういったものになるのではないかという気がしています。


こういったものから成る仕組み=システムを、研究の対象としたいと考えています。

9/02/2013

研究命題:「イノベーションを促す仕組みのデザインと運用」(1-2.)

1-2. なぜ「イノベーション」なのか?
研究対象に「イノベーション」を選んだ理由を2つ記します。

1) 純粋に興味がある
まずはじめに、単純に新しいものを生み出していくプロセスが楽しいから、ということが挙げられます。

誰でもそうなのかもしれませんが、決まったフォーマットやルーティンをこなすよりも、改善できるポイントがないかを考えたり、未来を予想しながらそれに合うようなものを考えることが好きです。より具体的にすると、そういったソリューションを考え付いた瞬間のワクワク感や、それがうまくワークした時の達成感に無上の喜びを感じます。

しかし、実際にはそれをうまく誘導することはなかなか難しく、そういった自分にもどかしさを感じていましたし、必要性が認識されながらも、多くの組織では具体的な取り組みは勘に頼って実施されていたり、或は日々のオペレーションに埋もれたり、変化することに対する抵抗感が有ったりする為に有効な取り組みがされなかったりというケースが多いと思っています。今後自分が社会の中で仕事をしていく際に、それをうまく導くことができるような方法を知りたい、また、そこに携わるからにはそれがうまく機能する理由もちゃんと理解したい、という思いがあります。


2) この先もっと必要になる
上記に若干重なる部分がありますが、イノベーションを起こすことはこの先様々な分野でもっと必要になると思われ、それに有効に対応できる知識と経験の基盤を持ちたいと思っています。

製造業における新製品や新規事業の開発、起業を想定した事業・サービスの構築は言うに及ばず、組織内のオペレーション改善や国、自治体の政策の企画や運用、地域活性化や支援活動等の市民活動、個々人のキャリアプラン等に至るまで、今までになくてサプライジングなソリューションが必要になる分野は広がっているように思われます。これは、社会の複雑度が増して様々な要因が相互に影響し合い、常に変化の度合い、スピードが大きくなっている為だというのが私の見方です。

上記の前提として、全ての社会の構成要素は周囲の環境を形成する他の構成要素と相互に影響し合って常に変化をしているという認識があります。環境の構成要素が少なければ、自らの在り方に影響を及ぼす環境の変化要因は少ないですが、これが増えるにつれて環境変化の頻度と速度は当然高くなります。この為、生存=環境への適応の為に自ら変化を起こす必要性は増し、これがイノベーションの必要性が高くなる理由だと考えています。

既存のやり方を踏襲するだけではすぐに陳腐化する為、常に先を見据えながら新しい取り組みによって自ら変化を仕掛けなければ、追いすがる事に汲々とするだけで精一杯で、やがては適応しきれずに社会から必要とされなくなり、退場を余儀なくされます。社会のネットワーク化→複雑化の流れがほぼ不可避である以上、社会に変化をもたらすような新しくてサプライジングなソリューションが必要となる場面は更に増えるはずです。


7/28/2013

130728_Note_MALLworkshop 「行為の動機を行為する」

経営学習研究所(MALL)のワークショップに参加しましたのでそこからの所感を記します。


講師は、近藤良平さん(コンドルズ)、有元典文先生(横浜国大)、岡部大介先生(東京都市大)。
普段しないような行動に巻き込まれるときに、何がそれを可能にするのか、を体験、観察するような意図があったっぽいですが、参加者に何を感じて何を持ち帰ってもらうかは放り投げちゃった感じがあるようです。

TVをよく見る方はご存知かもしれませんが、近藤良平さんはNHKの「サラリーマンNEO」というコント番組で、サラリーマン体操」の振付をされていることで有名です。また彼の主宰するコンドルズというコンテンポラリー・ダンスカンパニーは、学ラン姿でパフォーマンスを行い、海外での公演も多くされているようです。(海外でも有名だとか?)私は勉強不足なのですが、その道ではかなり有名な方で、身体の動かし方使い方を長く考え続けてきた方のようです。


<コンドルズ近藤良平さんによるワークショップ>
↓こんな感じのことやりました。



・体を動かす様々なワークを実施
・ペアを作って、まずは二人で体を動かすことについての導入
 (前屈する。人に触れてから行うと、そうでない時よりも深くできる。背中合わせで相手を背負う。等)
・一人ではこわばっていて無意識に身体の動きに制限を掛けている(「私は体が硬いから。。。」と思い込んでいるとか、日常生活では使わない体の部分、筋肉があるとか)が、人と触れるだけでそれがゆるみ、自分でも思っていなかった動きができたりする。
・二人で向き合い手のひらを合わせ、腰を曲げることなく身体をまっすぐにしたまま互いの足の距離を離していく。手のひらだけで相手に体重を預け合っている状態なので、離したとたんに地面にばったり倒れこんでしまう。相手に対する信頼、それぞれの身体の状態に関する感度を高めないと不安定になります。目を合わせた方が安定する感じがしました。なんででしょう?よくわからないんですが、やはり「目を合わす」「アイコンタクト」って特別なんだなと思いました。
・背中を合わせたまま立ち座りを繰り返す。背中に体重を預け合ったまま移動する。
・ペアで手を合わせて立つ→リード役とフォロー役を設定し、手を離さないようにいろいろ動き回る。(上の動画でやっているようなこと)他のペアと合体して4人、6人、8人のグループになったりその中から別のペアとして分離したりする。応用版では、フォロー役は完全に目を閉じてリード役についていく。リード役は他のペアと相手を入れ替えたりする。
・ハイタッチ。「せーの」など言わず、相手の出してくる無言のサインに双方で合わせる。誰かとやった後すぐに別の相手を探し、一瞬の目配せでタイミングを合わせてハイタッチします。「ハイタッチしよーぜ!」光線をお互いに出して飛び上がりながらハイタッチするので、妙にハイテンションなハイタッチがそこらじゅうで発生します。
・相手の手や体の動きに合わせながら移動する。リード役ーフォロー役はあってもなくてもよい。やっているうちにどっちがどっちなんかわからなくなる不思議な感覚があります。距離は最大3メートルまで離す。それでも何とかお互いにシンクロした動きになるものでした。また、近づいてきた他のペアとスムーズに相手を入れ替えたりといったこともできました。
・最後に、一人がリード役になって残り40人が一斉にその人の動きについていく。リード役はかなり気持ちいいらしいです。



<振り返り>
・一貫していたのは、相手に体重を預けたり、タイミングを合わせないと実現できなかったり、といった、相手との協力と依存が必要なワークであったことです。


いきなりそんなワークをするのも抵抗があったりするものですが、それをうまく引き出す身体の使い方をするワークを段階を踏んで行っていくことで、自然な流れで参加者のワークに対するエンゲージメントを引き出し、全体の盛り上がりを演出していくことにつながっていたと思います。また、それなりに頑張ればみんなが参加可能な動きであったということも大事だと思いました。(それを近藤さんは明確なプランを持たずに、その場の雰囲気を感じ取りながらコンテンツを組み上げていったようです)

・身体の状態をうまく切り換えるきっかけを与えると、場全体の心理状態が変わることがあることを身をもって感じました。

よくワークショップなどの始めに実施されるアイスブレーキングなどは、自己紹介をしたりちょっとした机上のワークをやるよりは、実際に身体を使って、理想的には相手に触れたり相手への依存することが必要な共同作業を行う方が、参加を引き出す雰囲気づくりに寄与するところが大きいかもしれないと思います。

・実際にワークをする中では、相手によって少しずつサインの出し方やリードしたい/フォローしたい度、動きの大きさや方向の変え方に違いがあり、それによって自分の出力/入力の感度を変える必要がありました。また、その感度の重要性は、実際に体が触れていないワークの方が高くなるように感じました。

そういった相手への配慮や意図の汲み取るということは、同じ目標を協力し合って実現するという状況では非常に大事であるということはよく言われていることで、いわゆる「コミュニケーション能力」というのはこのことを指すのだと理解しています。これは頭では多くの人がなんとなく理解しているはずのことなのですが、身体を預け合って同じワークをしている中では、ただそれに参加するだけで意識せずとも相手の状態や意図に関する感度が自然に上がり、シンクロした動きが可能になるにもかかわらず、普段の生活や仕事の中でパートナーや同僚、関係部署の人間と協働する時には、逆に双方のちょっとした違いに起因する不信感が増すような場面がとても多いような気がします。

この差を埋める仕掛けというのは、既存の組織、業務、日常の中にどう埋め込めばよいのか、それを考えてみるのも面白いと思いました。

・何の面識もない人同士の集まりでも、その場の動機付けがうまく整えば、具体的に言えば、参加前の自分のマインドセット、参加している人達のマインドセットとの共振、それをうまく引き出すコンテンツの三つが整えば、普段なら全くしない体の動かし方、アイディアの働かせ方、人の意思や気持ちに対する感度の高まりが実現できることは改めて実感しました。仕掛けのデザインの方法により、人の集団のパフォーマンスは確実に変えられると思います。

・ワークの中で近藤さんが触れておられましたが、お互いに初対面ながらもある程度共通の関心やモチベーションをもって人が集まった今回のワークと異なり、ある程度出来上がった既存の組織の中でこういったワークショップを実施する際は若干難易度が増すそうです。(一番面倒なのは、集中力が切れやすい+斜に構えやすい中学生だそうですが (笑))
例えば会社などでは、相手のイメージや役割、立場、性格の認識についてお互いに一日何時間もそのモードになって生活をしていて、これがかなり凝り固まっていると考えられます。これを壊して皆を横一線に並べないと、ワークの際に一歩引いてしまったり遠慮してしまったりという人が出やすくなり、場がうまく温まらないのではないかと思われます。既存の組織で新たな価値を生み出しやすい行動をしてもらう仕掛けを組み込む際にはこの部分に対する配慮が大事になるということだと思います。

会社の中での役職というのは、どちらかというとオペレーションを決まったルート、プロセスに沿って効率的に処理する為の役割分担ですが、新しいアイディアを作り実現していく際には、それ以外のそれぞれの考え方や知っている情報(特に決まった業務とは関係ない部分での情報)に多様性がある方が面白いものが生まれる可能性が高くなりそうです。新たな事業に取り組む際にプロジェクトチームを作ったり、改善案を検討する際に普段の業務から離れた場を用意したりすることは、こういった「普段」の枠を外すという意味で効果があるのだろうと思いました。


・言葉だけでは全く説明がつかないのですが、普段全くしない動きを40人ぐらいの集団がペアを組みながらウゴウゴやっている状態で、ハタから見れば結構異様な光景だったと思いますが参加者はお互いほとんど面識のない人同士で汗を流しながら真剣にやっていて、拍手が頻繁に起こったりして妙な高揚感がありました。


・踊り、やりたいなぁ~、と思いました。

7/22/2013

研究命題:「イノベーションを促す仕組みのデザインと運用」(1-1.)

案の定自分の考えをまとめていくのに苦労しており、時間がたってしまいました。

以下の目次の0.が前回でしたので、今回は1-1.について述べます。
=============
0. 命題と仮説、その他諸々
1. なぜ「イノベーション」なのか?
 1-1. 「イノベーション」について
 1-2. なぜ「イノベーション」なのか?
2. なぜ「仕組み」なのか?
 2-1. 「仕組み」の定義
 2-2. なぜ「仕組み」なのか?
3. 研究計画概要
 3-1. 人間の学習・適応モデル
 3-2. 組織の適応モデル
 3-3. 研究対象及び実践
4. 卒業後について
=============

1. なぜイノベーションなのか?
1-1. 「イノベーション」について

まず簡単に「イノベーション」に関して私の認識を提示しておきたいと思います。但し、イノベーション論に関する勉強を網羅的に行ってきた訳ではないので、今後の研究の中で変化していく可能性はかなり高いですし、大上段に構えすぎたせいで案の定続きを書くのにてこずったため、少しカジュアルにいきます。恐らく当たり前のことを書くだけになると思いますが。。。


最終的にやりたいことは「イノベーションをたくさん生み出せる仕組みのデザインと導入」なのですが、「イノベーション」というのは言葉のイメージだけが独り歩きしてしまっていて、それを捉える人の立場によって解釈に幅が出すぎてしまっている印象があります。

同じ「イノベーション」を語っていても、たとえば政治家とメーカー経営者と起業家とマスコミとでは意図しているものに違いがありそうです。ということは、「イノベーションを生み出しやすい仕組み」に関する見解にもだいぶ差が出ると予想されます。日本ではイノベーションというと「技術革新」という意味で捉えられることがかなり多いのではないかと思いますが、私が捉えたいイノベーションはもう少し広いイメージがあります。ここではどういう風に自分自身で捉えているかを記述してみることにします。


イノベーションを定義するにはいくつかの要素を考える必要が出てくると思われますが、まずは今までになかったものであるという「新しさ」というのは大事であろうと思います。この場合の「新しさ」は、そのイノベーションを使用する人達にとっての「新しさ」であり、既存の技術を他分野で応用して新しい成果を生み出すといったケースや、日本では陳腐化したものを他の国で使用してみたらものすごいヒットになったといったようなケースも(あるなら)当てはまることになります。

また上記の記載の中に一部その要素が現れていますが、その新しさは単に「今までになかった」というだけではイノベーションとしては評価されず、誰かしらのニーズを満たすもの、或は何らかの目的を果たすものでなくてはならないという意味で、そのイノベーションの適用対象にとっての合目的性も一つの要素になると思われます。

さらにもう一点重要なのは、そのソリューションが「サプライズ」をもたらすことではないでしょうか。「どうせダメだろうと諦めていた」「そういうものがあればいいと考えたことすらなかった」「そういうやり方があるとは知らなかった」という状態を、考え方や組み合わせ方によってひっくり返してしまうようなもの。それがもたらされる技術やサービス、プロセスがもたらされた時に、価値の大きい「イノベーション」として受け入れられるようになるのではないかと思っています。

「新しい」「サプライジングな」「ソリューション」であること。これが私が作り出したいイノベーションのコアなイメージです。


但し上記の中で注意しなければならないのは、イノベーションとはそれを生み出したい側の主観ではなくそれを使う側の主観で評価されるということです。いくら開発側が「この新しい製品を使えば生活がめちゃめちゃ便利になる!」と思って作っても、使用側が誰一人としてそれを「新しくて便利」と思わなければそれはイノベーションとして成立はしません。「新しいけど便利にはならないね」でも、「確かに便利だよね、まぁもうあるけどね」でもダメです。     

そういった面から考えれば、定義としては「新しくサプライジングなソリューションとして受け入れてもらえるもの」とする方が、もう少し適切にイメージを伝えられるものになるかもしれません。


これが、ひとまず「で、イノベーションって何だっけ?」と問われた場合に私が答えるであろう内容です。

それでは、「なんでそれやりたいの?」という部分について、次回まとめることと致します。

7/03/2013

研究命題:「イノベーションを促す仕組みのデザインと運用」(1)というか(0)

慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科より修士課程の合格通知を戴き、順調にいけば9月より留学生用プログラムに入学して2年間の研究を行うことになりました。会社を辞めたり心配掛けたりと自分の勝手で色々な方に要らぬ御迷惑、御手間を掛けてきましたが、御蔭様で無事スタートラインに立つことができそうです。

日々の雑感をものすごーい不定期に記載してきた当ブログに、関連の考察やつぶやきなどをもう少し頻度高くポストすることを通じて、周りの皆様にちょっとずつ御恩を返していくことができればと考えています。(勿論、卒業後にもっと大きな形で返さなければならないのですが)


まず手始めに、研究を始めるにあたり、現時点での問題意識や研究の概要に関してまとめていこうと思います。長くなるので、何回かに分けて記載することになります。今のところの構成は以下。
=============
0. 命題と仮説、その他諸々
1. なぜ「イノベーション」なのか?
 1-1. 「イノベーション」の定義
 1-2. なぜ「イノベーション」なのか?
2. なぜ「仕組み」なのか?
 2-1. 「仕組み」の定義
 2-2. なぜ「仕組み」なのか?
3. 研究計画概要
 3-1. 人間の学習・適応モデル
 3-2. 社会システムの適応モデル
 3-3. 研究対象及び実践
4. 卒業後について
=============
これだけですんごい大作になりそうです。ちゃんと終わらせられるのでしょうか。。。今から不安になってきましたが、頑張ります。尻すぼみになるかもしれ。。。ならないように頑張ります。

では、早速参ると致しましょう。


0. 命題と仮説、その他諸々
研究命題は大きく出ます。ズバリ、「イノベーションは、どういう仕組みを作ったら促進されるのだろうか?」です(ポストのタイトルでネタバレしてます)。

そんな研究は世界中の経営学者とか経済学者とか社会学者とかが何十年も前から研究をしている訳で、今更私ごときが参入するような分野ではないのではないか、という御指摘はもっともで御座いますが。。。前々から、うまくいっていない人間の集団をうまくいかせる為に、どういう仕組みを作ればいいのか、というのが興味の対象でして、どういうところに行ってもそこにばかり目が行くので、突き詰めて考えてみたところ上記のような問いになってしまいました。ひとまず、(私の不勉強もあり)これまで実践に適用可能なレベルで満足のいくようなものに出会ってこなかったので、ちゃんと勉強すると共に理論を実践につなぐ為のスキルまで身に着けて社会に戻ってきたいなァと思っています。(学問の道を突き進む、ということは全く考えていません。)

現在ざっくり持っている仮説やなんとなく考えていることは以下です。
 ・イノベーションは人間が組織的に起こす方がいろいろできて面白い
 ・イノベーションの起こる仕組み、条件の理解には、人間の学習・適応プロセスの理解が必要
 ・人間の行動を変える為の仕組みを、ITシステム、制度、物理環境などを含めて統合的に設計・実装すれば、組織全体のアウトプットの変化をある程度制御できるはず
 ・仕組み設計の前提となる個々の集団の状況は同じ集団でも時を経れば変わっていく為、ソリューションは一回性のもので、ある種アートに近い
 ・個々に異なるメンタルモデルを持つ人間同士の相互作用として組織的なイノベーションを考えると、そのプロセスは複雑すぎて、汎用的なモデルを作ることは(恐らくすぐには)無理
 ・一方で、同じ人間である以上基本的な認知プロセスはある程度一般化できるものがあるはずであると共に、影響の大きなパラメータはある程度の数に絞ることができるはず
 ・上記ができれば、問題状況の認知、原因分析やソリューション実装前のシミュレーション、評価基準の設定などの為の基本的なモデリングはある程度可能なはず(エージェントベースモデリング?)
 ・数種類の構成要素による複雑な環境適応システムであるという点で、脳や細胞の動く原理は社会システムの原理を考える上でとても示唆的なものになるはず
 ・とりあえず具体的に理論を打ち立てられないとしても、研究の過程で数々のケースに触れて分析することで、そういった分野のエキスパートとして必要なカンみたいなものは身につくはず

恐らく、ちょっとエッジの効いた切り口の見せ方としては、人間の学習・適応プロセスを基に集団(社会システム)の挙動とアウトプットに関する研究を行いたい、ということになるのではないかと思います。

と、長くなってきましたので続きは次回と致しましょう。
異論反論疑問、参考情報など戴けると幸いです。
ぜひぜひよろしくお願いします。

5/25/2013

ARTICLE: "Formlabs Starts to Ship Its Professional 3-D Printer"

I read below article;
Formlabs Starts to Ship Its Professional 3-D Printer | MIT Technology Review

I am not sure with patent and resin issues, but at least for the production issue, I think that the technology and know-how of Japanese manufacturing industry should be able to help a lot.

Japanese people normally say that the core competency of Japanese manufacturing industry is "technology" but it is too vague, and sometimes incorrect. When we talk about the technology, it often means technologies which are applied to the products. However, in my opinion, what Japanese can contribute to the world is mainly in aspect of agile transfer process with high reliability. For example, when I was working in a motor (not automobile, but a small tiny parts in electronics or likes) manufacturer, Taiwanese or Chinese makers were usually better than us in terms of cost and responsiveness, and we were almost in the same range in terms of specs of the products. However, Taiwanese and Chinese competitors often messed the customer's schedule up with quality or delivery issues, though it was very rare in our company. I think that Japanese companies have had to get used to responding to the super high requirement of Japanese OEM's such as Toyota, Panasonic, Sony, etc., requesting to make the schedule without sacrificing productivity, line capacity, and process capability. Due to this, it is natural for them to establish mass production really fast and make the lines produce less defects.

My assumption is only based on my experience in only one company, so I am totally not sure, but I think that we should highlight this point more.


Changing the topic...

Looks like 3D printer is still a hot topic in the US. It's been almost 2 months after I returned to Japan, but I do not see 3D printer is mentioned in the media that much.
(Looks like Nikkei, the biggest business journal in Japan, is following with a huge interest, though.)

One of the biggest reason 3D printer is, I guess, that it would jeopardize Japan's small and mid companies, which are engaged in manufacturing. In Japan, companies with less than 300 employees represents more than 99% of manufacturing industry, and they employ more than 75% of employee there. I do not know the exact data, but most of them focus on small-batch manufacturing, such as prototyping and sample, and if 3D printer becomes very popular in R&D process in Japanese big manufacturers, they will lose their jobs. 3D printer will jeopardize tooling industry as well, because customization of small stuff will become popular and they can do that without making tooling.

This could be a really big issue for the future of industries in Japan, and job market.

2/27/2013

Tribute to A. C. Clarke, ~I, existence, Intelligence~

今回は妄想を爆発させたいと思いますが、大した背景知識もなく何となく聞きかじりのことをつぎはぎするだけですので、支離滅裂になるかもしれません。


Arthur C. Clarkeという作家の本がとても好きで、中学生の時に初めて触れて以来、その当時に出ていた本はほとんど全て読んだと思います。代表作として有名なのは「2001年宇宙の旅」でしょう。S. キューブリックの映画として有名ですが、その原作となっている本であり、これに代表されるように、数多くのSF小説を書いた作家です。(残念ながら2008年に亡くなっています)



書評などは一丁前にできるようなタチではないのでやらないのですが、あの時期彼の本を読んで大きな衝撃を受けたことは今でも強く印象に残っていて、自分の世の中の見方に大きな影響を与えているような気がします。また、現在の科学技術の進歩を見ると、大まかな方向性としては彼が予想していたものに近づいているのではないか、と思うことも多々あります。

例えば、人間のような知性を持った存在の進化について、彼は以下のような将来を考えていた様です。

1. 現在のヒトの様に、生命と知性が一体になっている
2. 生命の限界を乗り越え、知性は生命とは別のいれものを持つようになる
3. 物質としての存在の限界を乗り越え、純粋に「知性」だけの存在となる

2.までは何となく分かるのですが、3.などは一体どんなもの??と、想像が難しいところがあります。ただ、いま色々なところで開発が進んでいる新しい技術を見ていると、なんとな~くふんわりと、ではありますが、そういったものが見えてくるような気もするのです。


<生命と空間の限界を超える>

まず1.から2.への動きですが、我々が現在前提としている、それぞれの個人が持つ肉体と個々人の存在や知性は切り離せないもの、という見方、この前提は意外と早くに崩れるかもしれません。

例えば、テレプレゼンスと呼ばれる技術が少しずつ普及しようとしていますが、これは自分は家にいながらにして、遠く(例えばオフィス)にいるロボットを動かして会議や会話に参加したりできるというものです。



この技術は、「わたし」は家にいるのに、「わたし」は別のところで「存在」して「経験」したり「学習」したり、「コミュニケーション」したりすることを可能にします。日本のアパートにいながらにして、ルーブル美術館を見学して回る、とかいったこともできる訳で、人間の「存在」や「経験」の幅や定義を大きく変えることになる技術(のモト)だと思われます。

今のところは、単にタイヤの上にカメラやセンサー、ディスプレイが付いていて、それをネットワークを介してスマホやパソコンを使って操作するというものですが、これに自分の腕と同じように操作できるようなアームが付いたり、BMI(Brain Machine Interface)の進化で自分の脳と直接リンクして動作指示とか音声を入力したり、そいつが感じ取った視覚、聴覚、その他の情報を自分の経験として出力させられるようになったりすると、あたかも「自分」が「そこにいる」かのように、別の場所にある「からだ」を動かして、別の場所でやりたいことができるようになります。

ただ、これだけだと、そういった操作の「主体」たる「わたし」が帰るべきからだはどこかに存在しなければならなくて、これが機能停止してしまうと「わたし」は消えてしまう訳ですが、これは、脳と同じ機能を備え、「わたし」を移しかえる先としての別のイレモノを用意すればいいわけです。ここは全く勉強できていない分野ですが、脳科学とコンピュータの発展によりそう遠くない将来に実現するのではないかと感じています。

イレモノを移し変えることで、「わたし」の「知性」が生命と切り離され、半永久的に「存在」し続けることができるようになりますし、空間を越えることもできるようになります。

例えば火星探査をする際に、わざわざ人間を送り込む必要はなくて、イレモノを先に送っておいて、後から「わたし」がそこに転送される、という使い方ができたりするのです。

また、「わたし」の存在の仕方も様々な選択肢が出てくるかもしれません。クルマかもしれないし飛行機かもしれないし、冷蔵庫かもしれないしアイロン台かもしれません。もちろん人型ロボットでもよいでしょう。「わたし」の働きを再現できる機能が備わっていて、必要な活動ができるイレモノであれば、何でもよいのです。


<存在の限界を超える>

しかし、半永久的に形態や空間を選ばず「わたし」が存在できるようになる一方で、結局イレモノが何かの拍子に損傷する等で機能しなくなってしまうと、「わたし」の存在も一緒に消えてしまう、という問題は残ります。そこで、2.から3.の動きが必要になるのですが、ここはいまいち想像が及ばないところがあります。

私が今想像しているのは、個々の「わたし」という存在の一部が「わたしたち」の中に溶け込んで、人類のみならず世界の全てを含めた情報の総体としての「知性」という在り方が立ち上がってくるのではないかということです。

現在、インターネット上にものすごい勢いで人類が生み出したデータが蓄積されてきていて、しかも単にそれを蓄積するだけでなく加工したり新たなものを生み出す為のアプリケーションまでネットワーク上に存在するようになってきています。情報の蓄積と加工ができるようになれば、今度は新たにそれらから新たな知を自動的に生み出すことができるようなプログラムができるかもしれません。

また、Ciscoがインターネットが現在進んでいる方向としてThe Internet of Thingsを示しているように、この先ネット上に流通、蓄積されていく情報の出所、そしてそこで加工された情報を使う場所は人間だけに限られなくなります。世界のあらゆるところにセンサーを張り巡らされて情報が集められ、それをベースにして個々の末端でそれぞれ必要な情報を必要なカタチに加工して判断できるようになります。或いはどこか巨大な中心部で必要な分析や判断を下したり、といったことがされるようになるのであろうと予想されます。(個人的には、巨大な中枢が存在する、というのはものごとの在り方に反しているのではないかと思いますが)

これは、人間の知性をはるかに超える、巨大な一つの知性がたち現れる可能性として考えられるのではないかと思うのです。このような知性は、ネットワークを介して遍在することが可能であり、ひとつの生命体の存在の仕方にとらわれない為、生命や存在の限界を超えた別のなにものかであると考えられます。そして、これらの知性に様々なものや人間が接続可能な世界では、人間もこの知性が世界に現れ、働きかける為の一つの末端になる、というような感じになるかもしれません。イメージとしては、人間の身体におけるひとつの神経細胞、筋肉、などといった感じでしょうか。

但し、当然上記のような未来には沢山の懸念点や疑問が生じることはどう考えても明白です。
最も大きなものは、「わたし」という存在の境界線に関する懸念など。これは、別途考えていかなければなりませんが、今回はこの先どういう方向に向かうか、ということを妄想するのが目的ですし、これが具体的な問題として立ち上がってくるのはかなり先の話になると思いますので、ひとまずここでやめておこうと思います。


2/23/2013

Social System Design?

I encountered the philosophy of John Dewey, when I was a student of the University of Tokyo.  It helped me a lot to build my belief about the natures of human being as below.

- A human being can only live in the circumstance filled with other humans or beings.
- A human being interacts and influences each other (humans or beings).
- A human being learns from the experience of interactions with or influence from other humans or other beings.
- A human being keep rewriting his/her knowledge based on new experience he/she gets.
- A human being feels pleasure and fun of making new knowledge or things by interaction and collaboration with others.
- A human being feels happy if those knowledge and things are appreciated in the society.

In case these natures are not fulfilled or realized, it is not because he/she does not have these natures, but because the circumstances he/she has grown and been is forcing him/her to hide them, and this is unhealthy, even him/herself does not recognize it.

Every human being grows in different way as every experience is completely individual and no one can share that fully. So every human being differs each other, and because of this, the condition that each individual can fulfill its natures is different. This condition varies even for the same person as he/she keeps changing.


I believe that every human being has right to seek for fulfilling these natures paying respect for the same right of each other. The thing that prevents people to seek for fulfilling their natures should be removed. The things bring fear for poverty, difference, being refused, failure, isolation etc.

I believe that this can be done by making some system that helps people to connect and collaborate to solve issues. This system has to help the people to establish and enhance their skills and expertise. This should be done by government, but authority draws too many things that jeopardize the people's effort, and local government cannot work beyond the spatial boundaries. We should establish the other platform on the internet.

Then... what do I have to study to design and operate this system? This is the biggest question I need to solve now. Is it social system design, maybe?



大学生の時に、J. Deweyの哲学に出会い、人間に関する、信念のようなものを考えるのに非常に役立ちました。

・他者・環境の中でないと生きてられません。
・他者・環境と相互作用しながら影響を与え合っています。
・相互作用を通して得た経験から、学習します。
・学習した内容は、経験を通じて絶えず更新します。
・そうして相互作用をしながら新しいものを生み出すことに、喜びを覚えます。
・生み出したものが、社会の中でより大きな価値を見出されることに、無上の喜びを覚えます。

人が人である以上これは共通の性質だと思っており、実際に現在生きている中でそれが発現されていないのは、それまですごしてきた環境の特性に合わせてそうせざるを得なかったから、だと考えています。そして、その状態というのは本人が気づいていないとしても不健全なものです。

全ての人間は、それぞれ個に依存して他者と完全には共有できない、固有の経験を経て成長していきます。その為、彼らはそれぞれが異なる性格を持ち、上記の性質を満たすことができる条件は異なります。同じ人にとっても、その条件は時を経て変わっていきます。彼ら自身が常に変わり続けるからです。

そんな中で、全ての人は上記の性質を実現することができる場を追求する権利を持つと考えます。そして、その権利は他の人も同等の権利を持っていると認識することを前提とします。これらを実現することを妨げるものは、取り除かれる必要があります。それは、貧困、差異、拒絶、失敗、孤独など。

多くの人が参加して、多様なプロジェクトチームを組んで課題に取り組めるような、何らかの仕組みを作ることで、それは可能なのだろうと思っています。そして、そのシステムは人々のスキルや専門技能・知識を強化する機能も持ち合わせるべきです。本来なら、これらは国や地方の政府よってなされるべきだと思いますが、そういった権力には余りに多くの余計なものが関わりすぎています。また、そういった枠組みでは空間的な制約を乗り越えることはできません。インターネット上に構築されるサービスが、それを実現すると思います。

では。。。こういったシステムを設計・運営できるようになる為には、何を勉強すればよいのか?これが目下の課題です。社会システムデザイン、とかそういったものでしょうか?

2/19/2013

Liberating Japanese individual

Finished reading "The Choices for Japanese Youth" by Lynda Gratton.

I think it is true that the tide is rising. Japanese youth have become choosing the life not protected & spoiled by corporation. But most Japanese people will stay in the predictability and comfort of 'parent to child', instead of the possibility of greater freedom, creativity and choice. Most Japanese people fear to be unique and alone, as they feel like being isolated from society and community.

But I believe that every person has and yearns for the destiny to be a part of creation in collaboration with others, and the current situation that the people are preventing each other to take risk and be unique to realize that destiny is unacceptable for me.

So I would like to work increasing the number of people to step out for the freedom. It is a kind of liberation. Liberation from "Kaisha" feudal system. The question is, "where and what is the key for that?" Some part of the social system needs to be changed, and it could be achieved by implementing/materializing some kind of service or community which provide lots of opportunities and connection for those people. Service, training, education, places for collaboration, socializing, fund raising, discussion, team employment, etc.

I need to choose my way so that I can analyze and evaluate the circumstances, and design, implement and manage the process. Could be social system engineering. Could be organizational development. Not sure yet...

1/31/2013

イノベーションに至る問い


『自己組織化と進化の論理』(スチュアート・カウフマン)を読みました。長いこと掛かりましたが。


生物の進化は、単に気まぐれな自然淘汰の結果によるものではなくて、背景にある原理に沿ってある程度導かれて現在の状態に至っていて、その原理というのが自己組織化という考え方です、ということを、生物学や数学の話を絡めながら論じる、とても長い本です。ちょっとずつ、他の本と並行しながら読み進めてきたので半年近く掛かりましたが、当初期待していた通り示唆に富む内容です。(理系の知識満載なので半分ぐらいしか理解できていないと思いますが)

例えば以下の話。 

生物学による生物の進化の過程に関する研究では、種の進化の中でも根本的な部類に関わる特徴(脊椎の有無等)からまず多様化して淘汰が行われ、その後進化が進むにつれて個々の種の中でより細かい部分での多様化が進んできた、という歴史が見られるそうです。この適応化の過程では、ランダムに種の分化が進むと、より適応した形態に辿り着く可能性が指数関数的に低くなり、そのため進化の速度が遅くなるそうです。

この考え方は、技術やビジネスにおけるイノベーションを考えるときに示唆的です。たとえば自動車の歴史を見ると、発明された当初はエンジンが前にあったり後ろにあったり、動力が蒸気であったり電気であったり石炭であったり、と様々な形態の自動車が見られ、載せられている技術も様々でした。その後次第に大まかなデザインが固まり、20世紀初頭にT型フォードが市場を席巻して自動車を大きく普及させた後は、ほとんどそのカタチや大まかな機能というのものには違いがなくなり、細かい部分での分化や差別化を試みながら、その差別化をいかに効率的にスピーディに回すかがとても重要になってきました。(最近の外部環境の大きな変化で、電気自動車という別の進化の系統が現れつつあります)このほかにも、「コモディティ化」したといわれる技術や製品などは、どれも似たような歴史を辿ってきたのではないかと感覚的に思います。生物の進化と同じ理屈で技術の進化も動いているのではないか、と推測することが可能なのではないかと思われるのです。

もし同じ理屈で動いていると仮定すると、今の時代はイノベーションに速度が求められる時代であるという言説は、上記の様に適応的な進化の過程で大きな変化(=イノベーション)に辿りつくのにどうしても時間が掛かるようになるのは必然、ということになりますから納得がいきます。既存の技術を破壊するようなイノベーションを起こしたくても、ある程度成熟してしまったものは大きなヒットを出す為のネタにヒットする確率はどうしても落ちてしまう。だから、試行錯誤をとにかく沢山繰り返して新しいものをつくり、どこかで当たるのを期待する、という話になります。しかし、これでは人も会社も疲弊しますし、オカネも掛かって仕方ありません。イノベーションを起こすというプロセスは自動化されていませんから、沢山の人を投入すればそれだけネタを見つけられる可能性がある訳で(その人の「質」に違いがあるのは否めないので一律に同じ前提で考えることはできませんが)、人件費で競争力のある新興国の方が有利になってしまうのは致し方のないことです。

しかし、しょうがない、とも言っていられない。

もし上記の前提が正しいのであれば、問いの立て方によってはそれほど回数をこなさなくてもヒットする確率を上げられる方法があります。

適応的な進化には、ランダムに分化した種の中から環境に適応できないものの淘汰が進んでいく、という前提があります。その考え方を適用すれば、製品や技術が当初発生した段階で分化の方向を模索する際に、生き残れるものを規定する制約要因があったからこそ現在ある方向に進化をしてきたということになります。しかし、もし当時と比べてその制約要因に変化が起こっているならば、「適応」の条件が変わっていることになります。その条件を考慮に入れた上で、これまでとは別の方向に変化を起こせば、新たな「種」を創造し直すことができるということになります。それがイノベーションになる、というイメージです。自動車で言えば、燃料費の上昇やバッテリー能力の向上などといった変化が、20世紀初頭にガソリンエンジンのクルマが主流となったときと比べてかなり大きな制約要因の変化に当てはまると思われます。

そうすると、今あるものをどうやって改善したらヒットするか?という、既存のものの延長線上にイノベーションを求める問い方では、新たな種を創造する事はできません。昔やろうとしてあきらめたことはなんだったか?それはなぜあきらめたのか?今だったら、できるようになっているのではないか?そういう問い方が必要なのではないかと思います。

過去を振り返ってできなかったことが、今ならこういう方法で解決できる、ということを実行に移すことが、イノベーションに向かう為の近道になるのではないか、というようなことを考えました。また、それこそが、「過去」を知っている人達=先進国にしかできないことでもあるのではないかと思いました。

1/18/2013

人生をもっと自分の手元に

ネットの普及というのは、大企業であることが、逆に不利になるケースが増えてくる時代をもたらすかも知れない、というようなことを考えています。

大企業のデメリットというのは、意思決定に時間が掛かるとか、何かと保身に傾きがちな人が増えがちとか、オペレーションに従事している「だけ」の人が多いこと。大きな組織になっていくというのはそういうことで、それは避け難いものです。でも、その副作用として、そういう人々が醸し出す文化に絡めとられて、価値を産むのに役立つ先端的な専門知識を持ってそれを発揮したい人とか、それを日々更新する努力をする意欲が高い人というのは大立ち回りを演じる場所が少なくなっていきます。

この先どういう社会になっていくんだろうなぁ、ということを妄想すると、
・ネットで個々人が簡単につながって色々とインタラクションしやすくなる
・力のある個々人でチームを組みやすくなる
・そういったチームの方が、より速く、質の高いソリューションを生み出しやすくなる
・そういった力のある人達により高付加価値な仕事が入るようになる
といった社会になっていくのではないかと思います。結果として、はじめに挙げた様な、ただオペレーションを回す、とか内向きの調整に勤しむ、とか、大企業であるばかりに必要になってくる仕事をする人達を雇い続けることのデメリットの側面が大きくなるような気がします。そういった仕事ができるせいで、余計に意思決定に関わってくる人たちが増えていったりして、提示するソリューションや製品に切れ味がなくなったり、意思決定が遅くなったり、という感じで、結果が出せなくなるのです。

大きな組織に入ってしまうと安心しちゃったりしがらみに疲れたりやりたいことができなかったりして、前に進んだり社外の人に会って新しいことを学んだりする意欲が削られていく感じがあるのですが、気のせいでしょうか。でもその中で安穏としていると、放り出された時に、自分の拠り所となるものが何もないというような事態になってしまうことが想像できて、それはとても恐ろしい事だと思うのですが。そういうことは何となく感づいていている割りに、戦々恐々としながら文句を言いながらも、当面安心だからと言って、本当はいつ裏切られるかも知れないものにしがみつく競争をしている。しかも無意識に。大きな会社に入ってみると、そういうところがとても目に付きます。貴重な人生の時間を切り売りして安心を買う。。。どうなんでしょうか。

僕は、自分の人生はもっと自分でコントロールしたい。そのために発生するリスクや不便は仕方ない。自分に力がないだけだから。

強い個人が、もっと自由に、緩やかに繋がり合いながら、相互に刺激し合いながら、面白いものを沢山作っていけるような社会、文化になればいいのに、と思います。勿論、できる限り沢山の「強い個人」を作れるような仕組みも用意して。そして、自分を常にアップグレードできる人が、ちゃんと評価されるような。そういう努力を怠らない人をちゃんと応援できるような。

会社に頼らなくても、自分の能力を活かしてある程度継続的に仕事をとれるような、新しい市場のようなものを作れないか、と考えています。時間を売り買いするのではなく、純粋に能力と課題解決を売り物にして報酬を得られるような仕組みです。そういったものがあれば、企業も個人も、或は専門職の人が集まった緩やかなチームも、ある程度平等な土俵で勝負できるようになり、大きな企業に入ることのメリットが薄れて行く気がします。安心という対価と引き換えにして失っていた、人生の選択の自由であったり、持っている能力をちゃんと必要とされる場所で活かすことで得られる喜びであったり、それを取り戻すのです。

そういったことができるようになることは、社会にとってもいい事だと思うのです。