このブログを検索

12/11/2012

草莽のつぶやき。


ひっくり返すべきものがあって、それが何らかの構造を持っているとして、本当にそれをひっくり返す原動力になる人たちは、その中枢の構造とは遠くはなれた周縁部にいるものだと思うのです。中枢の構造に頼らずに生きていく覚悟、勇気、能力、熱意があってしがらみから自由な人たち。
本当に今の構造をひっくり返しちゃうような、それこそ維新と呼べるような変化というのは、草莽で起きる小さなうねりが共鳴しながら高さを増した結果起こるものであって、中枢から号令しながら起こす変化というのは、よくても「中興」とか「改革」ぐらいのインパクトしかもてなさそう。構造に縛られざるを得ないから。
たぶん、変化を起こすことを目的にして中枢に入っていく人たちにできることというのは、結局側面支援的な役割でしかなくて。なので、中枢にいる人たちには、自分達が維新を起こす、と肩肘張るのではなくて、理解を示しつつ消極的にでも支援してくれればそれで十分なんじゃないでしょうかね。願わくば、走り回るスペースを広げる為の、壁を取り除くような対応をしてくださらんことを。

7/03/2012

調整力

他の会社でまともに働いたことがないので、全くもって視点が偏っているとは思うのですが、大企業と言うのは「調整」という名前の内向きの仕事が多すぎる印象があります。

「調整」というのはどういう仕事かと言うと、必要な人に必要な情報がちゃんと届いていて、必要なタイミングで必要な行動、意思決定をしてもらえるようにすること、と定義できるかと思います。根回しといってもよいでしょう。価格の交渉にしても仕様の決定にしても、サンプルの納期にしても、どこかで「その話知らないんだけど」となると途端にフローが止まります。というか、その知らない人が余計な突っ込みを入れてきたりするもので、より事態が面倒になっていきます。


大企業病というのか。。。?とにかく絡み合う人が多すぎてあちこちに気を配ってメールなり電話をして、と、社内向けのコミュニケーションが客とのコミュニケーションを遥かに凌駕する事態に陥るのです。大企業病、というか、それ以前の問題のような気もします。ある程度の企業になると社内の業務を効率的に進める為にシステムが整ってきているものだと思うのですが、上記のような理由で仕事が止まるのは、皆の顔と名前がお互いに把握し合える中小企業のような感覚ですよね。価格の見積もりを依頼してきているそのお前はまずナニヤツぢゃ。と、そこから入るのです。そしてその後ここに至る背景を延々と説明。その後に本題。


そして、仕事のデキる人というのは、得てしてキーマンに顔が利く人のことを言うのです。
何か不毛じゃね?そんなの他の会社に行ったら通用しない、内弁慶じゃね?
と。

思うのですが。

ただそれもよしあしではあるのです。

・良い点その1
案件に関わる人々が、皆同じレベルで情報を持って理解しているので、いざと言う時に一致して力を注ぐという状態を作り易い。
・良い点その2
皆が自分の仕事の範疇にはない事でも知っていて、ある程度の当事者意識を持っているので、お互いに別の視点から意見を出し合い易い。
・良い点その3
内側に入ってしまえば、多少の無理は「しょうがねぇなぁ」と言って聞いてくれるので、お互いの利害が反発して議論がデッドエンド→客の要求に対応できず終了。という事態は招きにくい。その対応が、客に対してはMake differenceとして有利に働くことがある。

他にもありそうですね。

大学の卒業論文で、教育学部でありながら野中郁次郎氏の「知識創造企業」を取り上げました。イノベーション(新たな「ナレッジ」)を起こす組織の条件として、「意図」「自律性」「ゆらぎと創造的なカオス」「冗長性」「最小有効多様性」の五つが挙げられています。この「調整」という仕事は、これらを担保する為に少なからず寄与しているのでしょう。
と、思うと、少し納得しました。非常に大事なスキルであり、その視点を持って仕事ができれば外に行っても通用するかもな、と思います。



要は、調整と言うのは簡単に言うとみんなが気持ちよくスムーズに仕事ができるような環境を整える仕事ですね。イメージとしては、部活のマネジャーみたいなものでしょうか。ということは、これこそがマネジメントということになるのでしょうか?ちょっと違う気がしますね。今更ながら、「もしドラ」を読んでみようと思いました。

6/19/2012

頑固職人の国。

日経TechOnの記事を読みました。
技術経営戦略考「日本の家電が負け組みになった本当のワケ」


日本にはどんなやり方が合うのかなぁ、ということを考えてみましたが、SamsungやAppleや、その他グローバルに沢山モノを売ろうとしている企業と競争するのは、もう放棄してしまう、という方向もひとつの選択肢ではないかと思いました。


つまり、色んな技術・サービスを磨きに磨いて、「死ぬほど高いけど死ぬほどよいもの」を徹底的に追求していく、という手です。頑固一徹な職人が溢れ、世界の中でいぶし銀のカガヤキを放つ国。頑固で独り善がりで言ってることは頭にくることもあるが、感動するほどよいものを作ってしまう人々。商売にはなりづらいし、大きな売上を上げるのは難しいかも知れないけれど、日本人の気質には合っているかも知れません。もう、すべて「業」ではなく「道」にする。テレビ「道」、半導体「道」、自動車「道」、農「道」、漁「道」、サービス「道」、アニメ「道」。。。笑 おかしな国が生まれそうですが、それはそれで尖がってていいような。そして他の国にはやりづらい芸当かと思います。

死ぬほどよいものを、お手軽価格で消費者に届ける仕事は、そういうことが出来る人にオマカセしちゃいます、と開き直る。でも、本当に大事なところを押さえたものは大量には作らない。自分では絶対に安売りしない。自分からは余りおおっぴらにアピールはしないんだけど、好きな人には本当に好いてもらえるような、伝統工芸みたいな製品・サービスが花盛りな、ちょっと風変わりな国として、日本を押し出していくのも面白そうだと思いました。


出来る限り多くの人が、そうやってのめり込める分野を見つけられる仕組みを、どう作ればいいか。。。ひとつ考えてみるテーマとして面白そうです。

季節。

もうじき、アメリカで働くようになって1年半、セントルイスに来て1年になります。
日本では入梅して雨が多くなったと聞きますが、もちろんアメリカには梅雨などなく、3月あたりから少しずつ気温が30度を超える日が出てくるようになって、5月や6月ともなれば週の半分以上が日本で言う夏日というような日和です。(日本の夏日よりも湿度は低いので、若干はしのぎやすいですが)

アメリカに梅雨がないということは、つまり梅雨明けもないということであり、日本で梅雨明けの日に感じることができた、「とうとう夏が来た!」という昂揚感を味わうことができないのは少し残念であります。こうして見ると、日本は春と夏の間に梅雨という別の季節があり、またさらに言えば春と梅雨の間に初夏という季節があり、また夏と冬の間には秋雨や秋、晩秋といったそれぞれ少しずつ違った特徴のある季節があるという考え方ができます。アメリカのように、単に徐々に気温が高くなって低くなるだけの「四季」とは別の、身にはっきりと感じられるいくつかの季節が存在するわけで、そういったちょっとした気候と雰囲気の違いを感じて、時の移ろいを楽しむというようなことができないのは、アメリカに来て少し物足りなく感じるところであったりします。

そういえば、日本には二十四節気という考え方もありましたね。

京都二十四節気 なんていう素敵なサイトを見つけました。

今は、芒種。
明日6月21日からは、夏至だそうです。
今年の日本はどんな夏になるのでしょう。

6/12/2012

序。

頭の中ではさまざまなことをぐるぐると考えているけれど、普段の生活でそれをカタチにする機会というのが中々ありません。何しろ、何の地縁もない外国で一人暮らしをしています。留学をしているならまだ別なのでしょうが、仕事で来ているものですから、下手をすると休日なんか人と大した会話をすることもなく終わってしまうことがあったりするのです。

「こんにちは、カフェモカ下さい」
「ホイップクリームいりますか?」
「え~、あ、お願いします」
「4ドルなになにです」
「はい」
「お待たせ、よい一日を」
「そちらもね」
一日の会話これで終わり。みたいな。

これは非常にいただけないのです。
何もしないと、日々のもやもやが形をとることなく泡沫に消えてゆく。そうやって流れに任せていては、この人生勿体無いと思うわけです。

思えば、大学までは実家で家族と話し、クラスでディスカッションをし、友達と他愛のない会話を交わし、サークルではマネジメントがなんちゃらかんちゃらと激論を交わし、バイト先ではお客さんや同僚と話をし、と実はものすごいコミュニケーションに溢れた暮らしをしていて、しかもその対象が多岐に渡っていて豊かだったことに気づきました。ところが、社会人になってからこの方地縁の全くないところへの転勤続きです。東京で大学を卒業してから、京都、滋賀、デトロイト、セントルイス。。。と、この4年ちょっとで既に引越しを4回。人間関係がある程度できて、深まってきたら転勤、みたいな感じでこれまで来たので、各地に友達はいるというある種幸せな状況ではあるものの、物足りなさも残ります。長くいてこそ深まるものもある筈であり、そのひとつは、深くて、クリエイティブな話ができる仲間だったりすると思うのです。

仕事をしている間はまだよいのです。お客さんと電話で話し、チームメンバーと業務について確認事項を議論し、上司の質問に応える。コミュニケーションという意味ではそれなりの量があります。但し、目の前を流れる仕事を処理する為の会話であり、少し業務から離れたこと、例えばちょっと大き目の改善提案を考えたり、事業戦略について妄想したり、自分の将来のことを考えたり、本で読んだ内容について考えたり。。。といったことを外に出す機会がないのです。何か大事なアイディアが隠れているかもしれないのに、これが日々に流されていくだけとは非常に勿体無い。話す人がいればそれはカタチになるだけでなく、会話の中で成長していって、とても面白いのだが。。。まぁそれはまた別途努力するとして。。。

とりあえず、ここにカタチとして残して、後から振り返ったりできれば、ネタ帳にもなるし、面白いなと思い、blogを始める次第です。FacebookでLikeを押したり、Evernoteでクリッピングしたり、PinterestでPinしたり、情報を集めてクリックするだけでは、頭の中にいまいち定着していかない種類の思念や意見があって、内容によってはちょっと根性が要るんだけれども、白紙(というか白スクリーン)の上に自分の考えたものを整理してカタチに残す、その習慣をつけようと思うのです。