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6/12/2012

序。

頭の中ではさまざまなことをぐるぐると考えているけれど、普段の生活でそれをカタチにする機会というのが中々ありません。何しろ、何の地縁もない外国で一人暮らしをしています。留学をしているならまだ別なのでしょうが、仕事で来ているものですから、下手をすると休日なんか人と大した会話をすることもなく終わってしまうことがあったりするのです。

「こんにちは、カフェモカ下さい」
「ホイップクリームいりますか?」
「え~、あ、お願いします」
「4ドルなになにです」
「はい」
「お待たせ、よい一日を」
「そちらもね」
一日の会話これで終わり。みたいな。

これは非常にいただけないのです。
何もしないと、日々のもやもやが形をとることなく泡沫に消えてゆく。そうやって流れに任せていては、この人生勿体無いと思うわけです。

思えば、大学までは実家で家族と話し、クラスでディスカッションをし、友達と他愛のない会話を交わし、サークルではマネジメントがなんちゃらかんちゃらと激論を交わし、バイト先ではお客さんや同僚と話をし、と実はものすごいコミュニケーションに溢れた暮らしをしていて、しかもその対象が多岐に渡っていて豊かだったことに気づきました。ところが、社会人になってからこの方地縁の全くないところへの転勤続きです。東京で大学を卒業してから、京都、滋賀、デトロイト、セントルイス。。。と、この4年ちょっとで既に引越しを4回。人間関係がある程度できて、深まってきたら転勤、みたいな感じでこれまで来たので、各地に友達はいるというある種幸せな状況ではあるものの、物足りなさも残ります。長くいてこそ深まるものもある筈であり、そのひとつは、深くて、クリエイティブな話ができる仲間だったりすると思うのです。

仕事をしている間はまだよいのです。お客さんと電話で話し、チームメンバーと業務について確認事項を議論し、上司の質問に応える。コミュニケーションという意味ではそれなりの量があります。但し、目の前を流れる仕事を処理する為の会話であり、少し業務から離れたこと、例えばちょっと大き目の改善提案を考えたり、事業戦略について妄想したり、自分の将来のことを考えたり、本で読んだ内容について考えたり。。。といったことを外に出す機会がないのです。何か大事なアイディアが隠れているかもしれないのに、これが日々に流されていくだけとは非常に勿体無い。話す人がいればそれはカタチになるだけでなく、会話の中で成長していって、とても面白いのだが。。。まぁそれはまた別途努力するとして。。。

とりあえず、ここにカタチとして残して、後から振り返ったりできれば、ネタ帳にもなるし、面白いなと思い、blogを始める次第です。FacebookでLikeを押したり、Evernoteでクリッピングしたり、PinterestでPinしたり、情報を集めてクリックするだけでは、頭の中にいまいち定着していかない種類の思念や意見があって、内容によってはちょっと根性が要るんだけれども、白紙(というか白スクリーン)の上に自分の考えたものを整理してカタチに残す、その習慣をつけようと思うのです。

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