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7/28/2014

<気になるワード(2)>「渦」

今回の話は、生物学者の福岡伸一教授の本に示唆を得ています。




前回のポストで「流れ」を捉えることが大事なんではないかと思っている、ということを書きました。世界は流れゆくものです。どんなものも何かしらの流れのさなかにあり、抵抗の少ない状態に変化していく性質を持っています。というようなことです。

では、その流れゆく世界の中で、安定した形、一定の秩序をもった状態をとっている(ように見える)我々の自身や机、建物、車、山などはどう説明すればよいのでしょうか?

これは、僕の勝手な捉え方の中では、「渦」に近いものなのではないかなと思っています。

どういうことかと申しますと。。。

まず、渦というのは、流体の中で性質の異なるものが接触する時にできるものだそうです。性質とは、温度とか密度とか、速度とか濃度とか重さとか、そういったものです。鳴門海峡などで見られる渦巻きは、海峡を通じて流れ込む/流れ出る水の速度の速いところと遅いところの境目で見られる現象です。

渦は、そういった性質の差によって発生するエネルギーと周囲の環境とのバランスが続く限り存在し、流入するエネルギーがなくなるなどしてそのバランスが崩れると消滅します。世の中に存在する「かたち」あるものが「渦」に似ているのではないか、というフィーリングは、双方が似たような原理で生じているのではないかな、という捉え方をしているということです。

例えば、人間の身体は、それ自体確かな存在でとても安定したもののように我々は思います。しかし、我々の身体を構成する細胞は常に破壊と生成が繰り返されている為、例えば皮膚を構成する細胞は、年齢にもよりますが、約1か月ですべて入れ替わると言われています。古くなって壊れた「自分」は体外に排出されていき、その代わりとなる新しい「自分」を作る材料を得る為に、我々は日々ご飯を食べるわけです。

つまり、我々は日々「自分」の中に様々なエネルギーを取り込み、古くなったものは排出するという流れを作ることで、「自分」という秩序を保っている。この点で、渦に似ていると言えるのではないか、と思うのです。

世の中の大抵のものは、複数の構成要素が組み合わさることで一つの系(システム)を成しています。しかも、それらの系は独立して存在するわけではなく、常に周囲の環境と何らかの形で干渉し合い、何かしらのやりとりを行っています。岩や山もそうですし、木もそうです。人間の織りなす組織も、国も、それらの一つということができます。

岩などは、どこまでが系で何が流れているのか、を明確に言い表すのは非常に難しいです。一定の種類の分子がカタチを成してやがて崩れていく、というそのプロセスが、人間とは比べ物にならないくらい長いタイムスパンで起きているのだろうと考えています。地球自体も、宇宙の中で様々な物質が渦によって集まって形成した秩序で、やがて流れが止まって消滅していくのだろうと思われます。

上記のように、それぞれに系の大きさや時間軸、バウンダリー、インプット/アウトプットでやりとりされるものは異なります。しかし、一定の秩序を成し、外部環境との相互干渉のバランスの下でそれが成り立っているという点で共通していると考えられます。そして、その特徴は渦と似ているように思うのです。

そういう意味では、銀がが渦巻き型をしている、というのは非常に示唆的です。複雑系化学の中に「フラクタル」という考え方がありますが、世界はどこまで広げて、或は狭めてみても、結局本質的にはそこに流れと渦があるのではないか、という気がしています。

僕のメインの関心事は、組織やコミュニティの中における創造的な活動を促進する仕掛けです。この捉え方の中では、系の中で流れ、渦巻いているのは情報や知識であり、それらが系の中で別の小さな渦を起こして消えていく、というのが創造的な活動なのではないか、という直感を持っています。

そういう捉え方をするうえで、流体力学の中ではどのような方法で渦の状況を捉え、分析して、制御しようとしているのか、ということには非常に関心があります。その考え方が、情報や知識の流れや渦としての組織が、どれだけ活発に創造的な活動を生み出しているか、を分析する為のフレームワークとして、援用できるのではないかという気がしています。



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